水雲崔済愚遺墟址
ヨシバウィ谷で悟りを開いた東学教祖 崔済愚
崔済愚は外敵の侵略や封建社会の矛盾に反対した宗教である東学の教祖で、雅号は水雲です。彼は貧しい暮らしの中で商売をしたり、書堂(*寺小屋)で文章を教えながら生計を立て、医術や占いにも関心が高く、その勉強もしていました。水雲は慶州出身でしたが、蔚山出身の夫人、朴氏と一緒に蔚山のヨシバウィ谷に草屋を建てて修練をしていましたが、1855年、彼が暮らしていた場所にとある人物が現れ、一冊の本を渡しました。崔済愚はその本を通じて悟りを開き、天道教を創設しました。天道教団はこの出来事を「乙卯天書」と呼び、1997年にこの場所に「天道教教祖大神師水雲崔済愚遺墟碑)」を、1999年には「碑閣」を建てました。
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場所蔚山広域市 中区 茶雲7ギル一帯
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先端東学は封建社会の矛盾に対抗するために作られた宗教であり、「人がすなわち天である」と教えています。東学は近代化の火種となり、当時、塗炭の苦しみの中にあった民衆にとっては新しい希望でした。崔済愚の殉教以来、その精神が東学農民運動や3.1運動に受け継がれました。













